朝来滞在最終日、八日目の月曜日。引き続きゴマ畑で間引きを行った。何とか16時前に終わらせることができた。一路、神戸に向かう。車の運転は高田さん。野村さんも一緒。翌日の凱風館の朝稽古を見学されるのだ。目指すは玄心館&海運堂&凱風館。私の旅はひとまず終わる。高田さんの旅は、ここから始まる。

~やれるか否かではなく、やると決める。合気道でいうところの「断定」をして状況に身を投じる~。

近頃、このような意味のことを何人かの方に言われてきた。また、言葉に出さず実践しているひとを朝来で大勢見てしまった。斯くして、過疎の進むこの地域で農業に取り組むことは、私にとって「断定」するに値すると言える。そう確信するに至る一週間となった。

忘れられない朝来の夜
忘れられない朝来の夜

七日目日曜日。亀岡君帰宅の日。午前中は竹田駅前を散策。昼は米粉の冷やしとろろそばを食べる。これがまた、もちもちしていて美味しかった。午後からは野村さんのゴマ畑で、間引きの作業を行った。青空の下で作業をしていると、神戸でしていたことの記憶、頭の中の概念あれこれが遠くなっていくようだ。これはこれで充実感がある。

左から亀岡君、野村さん、スイカ色の私
左から亀岡君、野村さん、スイカ色の私

六日目土曜日。この日は野村さん不在のため、岡村さん、亀岡君と行動。地元のお母さん方が主宰されている「森のようちえん」という活動で山遊び。石が散らばった岩場で、子供たちと水晶があらわになった石を探す。ひとり中学生で自然に詳しい男の子がいて、周りの小さな子供の面倒もよくみていた。彼をみていて自分も経験が乏しいとはいえ、自然での遊びはそれほど嫌いではなかったことを思い出した。手足を使って工作をしたり、自然の中で遊んだりして、できないことわからないことがでてくれば百科事典を引くなり、わかるひとに尋ねたりする。得られた知識でまたものを作ったり遊んだりする。これが、学びということの基本形ではないかとも思った。自分のなかで、いつから学ぶ=勉強=活字を読む一辺倒になってしまったのだろう?おかれた環境のなかで生き抜くうちに、良し悪しは別にして自分の興味価値観が自覚しないところで変遷を遂げてきたことを思い起こす。

~自分の知らない自分を見つけられるかもしれない。異なる環境と自分自身の手探りによって~。

山々に囲まれ、土に作物に触れ、身体を使って働くうちに、自分もこの世界に飛び込んでみるのかどうか、決心がまとまってくる。言葉で自分を包囲して暗示をかける必要もない。

茄子の花
茄子の花

五日目。午前中は岡村さんの里芋畑で土寄せを行った。お昼は岡村さん宅でかき揚げとミョウガ入りの入ったうどんをいただいた。本当に美味しい。午後はやはり、地域おこし協力隊で佐竹さんの水田の除草、田植えを行った。爛々と照り付ける太陽と広い田んぼ。この日の作業が一番大変だった印象がある。

亀岡君。ハードな作業のため、合気道の呼吸法で気を取り入れているところ。
亀岡君。ハードな作業のため、合気道の呼吸法で気を取り入れているところ。